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Über "die Kunst der Fuge"

以下の文章はCD 「フーガの技法」のブックレット用に用意されたものです。後々、譜例などを加えて補筆していきたいと思います。質問・ご意見などおありでしたら遠慮なく yasushiiwai-cd(at)yahoo.co.jp までお送り下さい。

「フーガの技法」はJ. S. バッハ最後の作品である。

だが、正確にはバッハの最後の作品となったと言うべきかもしれない。バッハはこの作品を持って彼の作曲活動を完結させようと考えていたわけではあるまい。最後のフーガが未完のまま提示されていることが多少そのことを暗示している様に思われる。とは言え、「フーガの技法」はまさにバッハの最後の曲に相応しい作品である。

 

承知のようにバッハは当時、時代遅れの作曲家の烙印を押されていた。

ここで個々の作品が称する「コントラ・プンクトゥス」と言う言葉がまさにこのことを象徴している。

コントラは「対」、プンクトゥスは「点」。が、ここでは一つ一つの音を意味する。

「音」対「音」。一つ一つの声部が夫々、互いに他の声部から独立していること、がその意味するところであり、それは実は多声部音楽だけではなく全ての音楽の和声構造の根幹をなしている。

音楽が美しく響くために、一つ一つの声部が独立して動きながら和声が進行していく。一つの声部で一つの音が鳴っている間に他の声部で複数の音が鳴る、或いは異なったリズムで鳴らされるのは、声部の独立性を強調させる一つの技法であり、単純な単旋律からルネッサンスを経て、バロックの複雑な多声楽に音楽が変容していくのは音楽家たちの作曲技法の誇示であるかどうかは兎も角、音楽をより美しく響かせようと言う自然な流れであった。

だが、実際には当時の聴衆からはそれは複雑すぎると飽きられ始め、バロック音楽の内部にもそれに呼応して「ギャラント様式」と言う簡略化が行われていた。やがてそれはクラシックーもともと意味するところは、バロック、ルネサンス以前の古典(クラシック)音楽への回帰―へと移り行くのであるが、「フーガの技法」はそのような、当時、滅びゆこうとする多声部音楽の一大モニュメント的な作品となった。

 

この作品がどういう楽器で演奏されるかと言うことには長らく議論があったが、今日はチェンバロの為に書かれた、と言うことで一応落ち着いている。が、コントラ・プンクトゥスVI,VII, IXそして最後の未完フーガの様に主題が長い音価で歌われる曲は、音の減退が無いオルガン等で奏された方がより美しく響く。そしてその際鍵盤を弾き分け、適切な音栓を引くことによって主題をより美しく響かせることが出来る。私はこの考えに従って、中声部に出てくるフーガ主題を全て別の手鍵盤で奏することに腐心した。

(ちなみに、コントラ・プンクトゥスXとXIでは何度か等価の主題が同時に二つの中声部に出てくる。これを弾き分けるためには少なくても3段の手鍵盤を要するため、今回は録音しなかった。)

また、声部が交差する様な個所、すなわちソプラノがアルトよりも、或いはアルトがテナーよりも低い音を奏する時―大抵の場合は和声進行上の誤りを避けるためであるがーにも、別の鍵盤を用いた。特にこれはコントラ・プンクトゥスXIIの場合には是が非でも必要であったと思う。と言うのはこの曲では一つの声部が他の隣接する声部と同じ音を共有した後、別の声部とまた別な同じ音を奏すると言う箇所が何度かあり、これを一つの鍵盤で奏すると、たいていの場合、一つの声部がその箇所、消失したように聞こえてしまうからだ。

 

さて、このフーガの技法は一つの基本主題をフーガ主題として、或いはカノンとして書かれた18の曲(実際には2つの鏡像フーガは夫々その鏡像形と合わせて4曲になる)からなる。唯一の例外は未完フーガで、理論的、和声的には、書かれている3つのフーガ主題に基本主題を組み合わせることは十分可能であるし、そうでないと、何故このフーガがこの「フーガの技法」の中に納められているのか疑問が生じる。が、実際にあるのは未完で発表されたフーガの姿である。

1番から4番までは基本形、或いはその逆行形をフーガ主題とする単純フーガ。

5番ではその2つが装飾されて展開される2重フーガ、6番では主題を2倍の音価に引き伸ばしたものと、7番ではさらにそれに加えて4倍の音価に引き伸ばしたものを加えて曲が展開される。

8番から11番に於いては基本主題(9番)、装飾された逆行形(8、10,)装飾された基本主題と逆行形(11番)が新しい、別のフーガ主題と組み合わされて展開される。ちなみに9番においては基本主題が新主題と2つの異なった音程で組み合わせて奏される二重対位法と言う技法が使われている。

この録音ではこれら3つのグループと未完フーガの間に4つの鏡像フーガを置いた。

鏡像フーガと言うのは一つの曲の、一つ一つの声部の初めから最後までの上下関係をひっくり返したものを、12番ではソプラノ声部を鏡像ではバスへ、アルトはテナー、と言うように、13番では自由に組み合わせてもう一つの曲(鏡像)が書かれたものである。

13番では基本主題、逆行形夫々の装飾されたものが展開される2重フーガであるが、12番では夫々、装飾された基本形、装飾された逆行形が扱われる単純フーガである、ただし、こちらに於いては曲の途中で主題がさらに別の形に装飾される。

前述した様に未完フーガは我々に伝えられている部分では3つの新たなフーガ主題のみが展開されている。

第1部では1つ目の主題とその逆行形、第2部では第2の新主題が基本形のみで、後に第1の主題と組み合わされて、第3部では第3のいわゆるBACH主題が基本形と逆行形で奏される、そして第4部冒頭でこれら3つの主題が組み合わされて提示されたとたん曲は中断されている。

 

 

この録音は2013年7月ダーレン市(ドイツ・ザクセン)の市教会のオルガンが調律されたのを機に行われた。

オルガンは、バッハが高く評価していたジルバーマンの後継者イェムリッヒによって、19世紀、ロマン派の時代に建てられた、しかしメヒャーニッシュ・オルゲルで、オルガンの一番最初の建造方法である一方で、バロック音楽を弾くのに一番最適な建造方法である。それはまた、原始的な建造法と言えないことも無いわけで、それによって生じる鍵盤のアクションを、空気弁に伝える機械音が歴史的オルガンの演奏を聞きなれていない耳には耳障りに聞こえるかもしれない。

が、それも弦楽奏者が減の上で指を滑らせる音や、管楽器奏者の息遣い、弁の開閉音の様にオルガン「音楽」の一部なので(イェムリッヒ)ナチュラルな音として楽しんでいただけると幸いです。

 

なお、この録音のすぐ後にこの教会を中心に働いていたギズリンデ ヘルメルト女史が退官し、ザクセンのランデス・キルヒェ(ドイツには国教会と言うものは無く、その代わりに、ランデス・キルヒェがその地方地方―ランドーをカバーする)は後任を置かない、と言う決定を下した。ゆえに、これがこの美しい響きを持ったオルガンの最後の録音になるかもしれない。ここのオルガンは響きだけではなく、その外観の華麗さゆえに、ザクセンのオルガン・カレンダーの表紙を飾ったこともあるのだが、つくづく残念なことである。

 

最後に、特に今回の録音の機会を与えてくれたカントァ、ギズリンデ ヘルメルト、録音等に際して助言を与えてくれたその夫、マティアス ヘルメルト、音栓操作をしてくれた我妻に謝意を表したい。

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